起こされて目が覚めた。体感5分だろうか?
主治医S先生の第一声は「なぱさん!人工肛門にならなかったからねー」とややドヤ顔w
ほっとする暇もなく痛い!
看護師さんに今のところ痛みはどのくらいですか?と聞かれて迷わず10と答えた。
全身がめっちゃ痛かった!
背中からの硬膜外麻酔ができなかったので、点滴から痛み止めを入れてもらっていた。
家族を呼んでもらって時間を聞いたら21時半くらいとのこと。
6時間くらいの手術だったよう。
このときリンパ郭清はしなかった。
大手術になっちゃうから、リンパは後日改めて夏頃に手術しようと言われていた。
ここからが地獄のような時間だった。
全身状態がよくなかったからなのか一晩ICUにお世話になることに。
人手不足で夜勤の担当看護師は男性でもいいかと聞かれたけど、ずっと婦人科入院で男性看護師さんがいなかった科だったので、できれば女性がいいと答えた。
背中が痛かったけど寝返りが打てないので、体位をかえてもらった。
また変えますからねーと言って去って行ったけど、これが最後の体位交代だった。
後は喉がひたすら乾いていたけど飲水できないので、お水を含ませたスポンジを軽く口の中に入れてもらう程度。自分的には1時間くらい経ったサイクルで看護師さんを呼んでスポンジを入れてもらっていたけど、たぶんもっと短い時間だったのか、またですか?みたいな顔をされた…
もしかしたら男性の方が優しかったのかもしれない💦
それと、隣のベッドの患者さんにも悩まされた。
うるさい…とにかくうるさいの一言に尽きる。
5分おきくらいに痰の吸引をしてくれーと叫びまくる。
さっきしたばかりだからと宥めてもまた叫ぶ。
唾を飲み込むと、飲み込まないでって言ってるでしょ!と看護師さんに怒られる。
看護師さんにうるさくてすみません、そろそろ眠ると思いますのでと言われたけど、結局その患者さんは朝まで起きていた。
痛みとうるささでほとんど眠れなかった。
翌朝午前中に病棟の看護師さんがお迎えに来て、ベッドごとガラガラ引かれて帰った。
でもすぐに自分の病室ではなく、婦人科のリカバリールームでさらに二晩ほど過ごした。
顔見知りの看護師さんばかりでほっとした。
ここでやっとスマホを手にすることができたので、とりあえず友達に無事終わったことだけを連絡できた。
痛くなると痛み止めを追加してもらっていたけど、4時間おきだったかな?制限があるのでそれが辛かった。
◯時になったらねと言われたら時計とひたすら睨めっこして、その時間になった瞬間にコールを押して頼んでいた。
硬膜外だともっと効きがいいんだけどねと言われた。
術後4日目にしてやっと病室へ。
手術時に腫瘍を剥がすのに腸をだいぶ触っているからとしばらく絶食絶飲が続いた。
当初は1週間と言われていたが、レントゲンの結果腸の動きが良くないとのことでもう1週間延ばされた。
ひたすらスマホでレシピ動画を見続けた。
友達に逆効果じゃないの?と言われたけど、なぜか動画を見て、退院したらこれを作ってひたすら食べてやる!とモチベになっていた。
久しぶりの食事は重湯だったけど、沁みるほど美味しかった。
次は塩気のあるスープ。これも忘れられない美味しさだった!
解禁になるとあっという間に普通食になって、逆にいいの?と思って、よく噛んで食べた覚えがある。
この時点で2月中旬。入院して2ヶ月半。
久しぶりのペタンコになったお腹には、油性マーカーの跡がまだ残っていた。
妊娠線のような割れ目もくっきり残っている。
手術が終わった安堵感の方が大きくて、これからの辛い日々はまだ想像できなかった。
先生は術後、慎重すぎるくらい食事を提供するタイミングを測っていた。
私の隣のベッドに重度?の腸閉塞の方が入院されていた。
もう何ヶ月も入院していて個室から大部屋に移動してきた。
病院側と転院について少し揉めてるような感じだった。
精神的にも追い詰められていて先生との会話は感情的で話になっていなかった。
ポートから点滴をしているので、外すタイミングでシャワーを浴びに行くのだけれど、約束してた時間に看護師が来てくれなくてシャワーの予約時間が過ぎてしまったことがあった。
もうへそを曲げてしまって、看護師さんが何度謝っても口すら聞いてくれない。これから予約取れたから入りましょうと言われても頑なに入らないって言ってるでしょ!!と怒鳴ってる…
とだいぶまた話が逸れたけど、先生は腸閉塞にならないように慎重だったみたい。お隣さんのように精神も蝕んでしまうからな…
よくひとりごとで、これは病院の失敗でこうなったのよ…と部屋で呟いていた。
続きます。
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主治医S先生の第一声は「なぱさん!人工肛門にならなかったからねー」とややドヤ顔w
ほっとする暇もなく痛い!
看護師さんに今のところ痛みはどのくらいですか?と聞かれて迷わず10と答えた。
全身がめっちゃ痛かった!
背中からの硬膜外麻酔ができなかったので、点滴から痛み止めを入れてもらっていた。
家族を呼んでもらって時間を聞いたら21時半くらいとのこと。
6時間くらいの手術だったよう。
このときリンパ郭清はしなかった。
大手術になっちゃうから、リンパは後日改めて夏頃に手術しようと言われていた。
ここからが地獄のような時間だった。
全身状態がよくなかったからなのか一晩ICUにお世話になることに。
人手不足で夜勤の担当看護師は男性でもいいかと聞かれたけど、ずっと婦人科入院で男性看護師さんがいなかった科だったので、できれば女性がいいと答えた。
背中が痛かったけど寝返りが打てないので、体位をかえてもらった。
また変えますからねーと言って去って行ったけど、これが最後の体位交代だった。
後は喉がひたすら乾いていたけど飲水できないので、お水を含ませたスポンジを軽く口の中に入れてもらう程度。自分的には1時間くらい経ったサイクルで看護師さんを呼んでスポンジを入れてもらっていたけど、たぶんもっと短い時間だったのか、またですか?みたいな顔をされた…
もしかしたら男性の方が優しかったのかもしれない💦
それと、隣のベッドの患者さんにも悩まされた。
うるさい…とにかくうるさいの一言に尽きる。
5分おきくらいに痰の吸引をしてくれーと叫びまくる。
さっきしたばかりだからと宥めてもまた叫ぶ。
唾を飲み込むと、飲み込まないでって言ってるでしょ!と看護師さんに怒られる。
看護師さんにうるさくてすみません、そろそろ眠ると思いますのでと言われたけど、結局その患者さんは朝まで起きていた。
痛みとうるささでほとんど眠れなかった。
翌朝午前中に病棟の看護師さんがお迎えに来て、ベッドごとガラガラ引かれて帰った。
でもすぐに自分の病室ではなく、婦人科のリカバリールームでさらに二晩ほど過ごした。
顔見知りの看護師さんばかりでほっとした。
ここでやっとスマホを手にすることができたので、とりあえず友達に無事終わったことだけを連絡できた。
痛くなると痛み止めを追加してもらっていたけど、4時間おきだったかな?制限があるのでそれが辛かった。
◯時になったらねと言われたら時計とひたすら睨めっこして、その時間になった瞬間にコールを押して頼んでいた。
硬膜外だともっと効きがいいんだけどねと言われた。
術後4日目にしてやっと病室へ。
手術時に腫瘍を剥がすのに腸をだいぶ触っているからとしばらく絶食絶飲が続いた。
当初は1週間と言われていたが、レントゲンの結果腸の動きが良くないとのことでもう1週間延ばされた。
ひたすらスマホでレシピ動画を見続けた。
友達に逆効果じゃないの?と言われたけど、なぜか動画を見て、退院したらこれを作ってひたすら食べてやる!とモチベになっていた。
久しぶりの食事は重湯だったけど、沁みるほど美味しかった。
次は塩気のあるスープ。これも忘れられない美味しさだった!
解禁になるとあっという間に普通食になって、逆にいいの?と思って、よく噛んで食べた覚えがある。
この時点で2月中旬。入院して2ヶ月半。
久しぶりのペタンコになったお腹には、油性マーカーの跡がまだ残っていた。
妊娠線のような割れ目もくっきり残っている。
手術が終わった安堵感の方が大きくて、これからの辛い日々はまだ想像できなかった。
先生は術後、慎重すぎるくらい食事を提供するタイミングを測っていた。
私の隣のベッドに重度?の腸閉塞の方が入院されていた。
もう何ヶ月も入院していて個室から大部屋に移動してきた。
病院側と転院について少し揉めてるような感じだった。
精神的にも追い詰められていて先生との会話は感情的で話になっていなかった。
ポートから点滴をしているので、外すタイミングでシャワーを浴びに行くのだけれど、約束してた時間に看護師が来てくれなくてシャワーの予約時間が過ぎてしまったことがあった。
もうへそを曲げてしまって、看護師さんが何度謝っても口すら聞いてくれない。これから予約取れたから入りましょうと言われても頑なに入らないって言ってるでしょ!!と怒鳴ってる…
とだいぶまた話が逸れたけど、先生は腸閉塞にならないように慎重だったみたい。お隣さんのように精神も蝕んでしまうからな…
よくひとりごとで、これは病院の失敗でこうなったのよ…と部屋で呟いていた。
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